通常の和紙漉きだけでなく型染めや加工品も手がけている桂樹舎さん。和紙漉き元はどうしても和紙を漉くことだけに留まってしまうことが多いですが、桂樹舎さんの強みは、加工から全部手作りで一貫生産しているところ。「民藝」の芹沢銈介先生との関わりも含めお話をお伺いしました。
桂樹舎さんのこちらの建物、すごく雰囲気のある建物ですけれど、こちらはもともと学校だったんですか?
学校を移築したの。
もともとここに建っていたのではなくて。
建っていたのではなくて、富山県と岐阜県との県境。そこで休校になっていた小学校を町から譲り受けて移築した。
結構、距離ありますよね。移築するとき。結構大変だったんじゃないですか?
だけどそれは大工さんがやるからね。やってくれるからね。その辺は良くわからないけれど。
私が帰ってきて何年ぐらいだったかなぁ。三年ぐらいしてからかな。
大体何年ぐらい前になるんですか?
昭和60年にここをオープンしているから、25年ぐらい、、そんなものだね。
その頃って、このような建物ってあまりないですよね。
あまりない。
その頃って、ほとんどなくなってましたよね。
そうそう。
もう本当に雰囲気が良いから貴重だよなと思って。
うん。皆さんにそう言われるよね。
桂樹社さんの場合、このお店の部分と喫茶店の部分。特にこの喫茶店の部分なんかにいると何か名曲喫茶にでもいるような感じじゃないですか(笑)
(笑)
クラシック音楽のCDとかが鳴っていると(笑)
最初からこの喫茶店は併設されていたんですか?
そうしないと人が来ないだろうって。人が見て、休むところが欲しい。
意外とこの辺で休む場所がないですよね。
まだ蕎麦屋でもやるかいって言ったけどそれは反対したんだ(笑)
もう、いつの間にか和紙屋さんじゃなくて蕎麦屋さんなってしまって(笑)
そうそう(笑)
そうするとこちらが一般の方にアピールする場所ということで工場は全くの別。
工場は隣。
やはりお客さんとしては“おわら風の盆”のときにはものすごい来るんですか?ごったがえ状態で。
昔はそうだったなぁ。最近は風の盆に来る人もお利口になってきて。日中に来ても何もやっていないから。来ない。
(笑)
そのときに八尾町をちょっと歩いてね、散策してもらえば良いのだけれど。暗くなったら何も見えねぇんだから。夜来て、そのまんま帰っていくとか。そういう人が多いね。
せいぜい一晩泊まるぐらい。
泊まるところがね、ここは宿泊施設があまりないからね。
そうなんですか。
だからあったとしても常連客みたいなのがいて、今年来たら来年も来るよって言って。
押さえられちゃって。
なかなか新たに入るっていうのはできないみたい。
そうなんですか。そうするとどこか近くに?
富山市とかね。だから“おわら風の盆”になると近隣の市町村のホテル、旅館などの宿泊施設、大体一杯になるて言うね。で、石川県の片山津とか、あのあたりの温泉街とか。こっちだと岐阜県の飛騨古川あたりのホテルとか、高山のあたりかなホテルは埋まるらしい。
そうするとそこから車で皆さん来られるんですか?
そうそう。
車を置く施設というのは。
ない。あるけど、そこからまたシャトルバスで来なければいけない。そこからまたバスで来なくちゃいけないとかね、乗り合わせて。
そうすると以外とここにはお金が落ちない。
落ちないよ(笑)ましてや観光バスなんかが来ると、観光バスの中でお土産を売っているわけよ。バス会社が。地元のものを売ってくれると良いのだけれど。八尾町を歩いて買うと手に物を持って重いですよと。バスの中で買えば家まで楽ですよと。
それ困りますね(笑)
そういうので随分……。そういうのもあるのだろうけど、にわか店みたいのがけっこうできるわけよ。みんな売り上げは去年より悪い、去年より悪いって段々悪くなってきている。
特に“風の盆”って通りが狭いですものね。
普通の商店街で。
その中で出店なんかで横をずらーっと並ぶのもできないのだろうし。
屋台みたいなものはない。
できないですよね。
できない。
多分、禁止しているのだろうなと思うんですけど。
そうね。空き家を借りたりとか駐車場を借りたりとかして店をやるわけ。三日間だけ。
そうするとどうしてもちょっとお店が出るだけで留まってしまうわけですね。
受け入れ側もそうだし、買う側のお客さん側も最近は物を買わなくなってきているでしょ。ですから、その二つが重なっているからなかなか町の中でお金が落ちないんだよね。
意外とこの周辺って道の駅もないですものね。
ないよ。コンビにも街中にない。すんごいところだよ(笑)それがまた良いんだけどね。
そうすると年に一回、急に人が来て。それ以外は町並みを散策する人がチラホラと。
“風の盆”に来たのは夜だから見れなかったから、日中はどんなものなのかなって別の日に来たとかね。
五箇山とか行ったから、そのついでに来てみたとか。
公表では年間60万人ほど観光客が来ていると言っているけど、そのうちの半分がその“風の盆”に来ているわけで。で、その半分って何時、どのときに来ているんだって(笑)
来てはいるんだけど、ここには宿泊などはしていないと。
ここだってそんなに人は来ていないし。あともうひとつは、5月3日に曳山祭りがある。それは山車を引いて練り歩くんだけど、その屋台を常時3台、飾ってある建物があるわけよ。この近くに。曳山会館て言っているんだけど、大体そこが八尾町の観光の拠点になっていて、そこの入館者数だって多くて4万人、5万人に行くかいかんかだったと。年間ね。だから60万人のうち30万人が“風の盆”に来て、残りが年間を通して来ると言ったって、その拠点になるところが5万人しか来ていないのに、あとの25万人は何時、どこに行っているんだって(笑)
辛いですね(苦笑)もっとここの地元の旅館とかにお金が落ちているのかなぁと思っていたんですけど、意外と落ちていないんですね。
うん。ただパイが小さいからね。それはどうしようもないんだろうと思うけどね。
そうすると八尾和紙さんでは“風の盆”に合わせた民芸品みたいなものがひとつあるんでしょうけど、それ以外のものがどちらかというと主体になっているんですか?
“風の盆”の商品は主体ではない。
そうではないんですね。他の県から見たらそういったイメージとかがあるかもしれないけど、実際にはそうではないと。