和紙販売:紙処ますたけ(静岡・静岡市)

その和紙に似合った使い方をしてあげれば、すべて上手く (3/4)

静岡市で代々和紙屋さんをされている“ますたけ”さん。和紙小物の販売と共にマンツーマンに近い形での和紙教室も開催されています。「紙の声が聞こえる」という言葉を仰っていましたが、小さいときからずっと和紙が身近にあったからこそなのでしょう。  (取材日:平成23年2月3日)

紙を触った瞬間に、何に向くのか指先でわかっちゃう

私、水引も使わないんです。水引もちょっと習ったんですよ。これはプロがいるなと思いました。きれいに結ぶのはやっぱり修行がいるはずですよ。ちょっと結ぶことなら、なんとかできるけれども。水引をお仕事にしている方たちには、やっぱり尊敬。すごいなぁ、水引は工芸だと思ったんですよ。

そんな中で、自分が結びにしたときに扱い慣れない水引を使うんだったら使うのをやめようと思ったんです。野暮ったくなっちゃうから。一生懸命作ったものは野暮ったくなっちゃうんです。それが趣味の世界だったら良いの。私は、紙屋としてのプロだからお客さんに差し上げるものに野暮を感じさせちゃ駄目だと思ったわけ。

ある程度、余裕を持ったもの。

そうそう。自分で無理して使う道具を絶対使わない。自分で無理が見えちゃうから、それは伝わる人には伝わるから。使い慣れない、自信がないものは絶対使わないですね。

意外と受けとる人って、やっぱり一杯一杯で作っているものと、余裕を持ってある程度の遊びを持った作品は、わかる人はわかりますからね。

暮れになると、普段使わない人がお正月飾りに紅白の水引を買いに来るんです。うちは本当なら和紙屋だったらそれぐらい置いていなければいけないのに、水引屋さんも近くにあるから。そういう専門店は邪魔したらいけないと思って置かなかったんですね。そうしたらちょっと離れたところにある和紙屋さんが廃業されたことから、その店が水引を扱っていたものだからいらしたいです。ない、ない、って。いままで余裕を持って水引を使わなくても、紙紐とかも色々とあって、水引の代わりになって水引よりもオシャレにステキに遊べられるよって教えてきたんですよね。去年の暮れは、どどどどって押し寄せてきて、何人かに言ったけれど、でも水引よ!って結果がわかって。日本人の心なのかなって思って(笑)お正月を迎えるためのね。

御節と一緒で(笑)

そうそう。まあ良いかってそれはそう思って。

渋いのもの良いし、逆に賑々しいもの。それもまた良いのでしょうね。

多分、私のところ見て変わっているってことお分かりになると思うけれども、何て言うんだろう。自分の許せるところでしか仕事をできないというか。

これですね……、和紙の漉き手の人たちに話を聞いていて、口々に仰るのが、昔は問屋さん・小売の人たちも職人だったのにねっ、て言われること多いんですよ。漉き屋さんが言うのが、もう問屋さん自体がサラリーマンになっちゃって、パッと紙を触った瞬間にこれはどこの紙、何年ぐらい置いているとか。そういったことをパッとわかって、それをお客さんに売っていたのに、いまもう問屋さんは、右から左でそれをわかっていないで、値段だけで商売しているから全然わかっていない。

その点“ますたけ”さんのスタンスって、本来の問屋さん・小売りがやるべきことなのかなって。

それでもこんなことしていたら商売はお手上げだし(笑)でも逆にね、お客さんの要望に100%応えた品揃えをするのは今は無理だと思うし、どっちを取るのかといったら当然、自分の道を行きたいしね。

本当に何ていうんだろうね。和紙が好きとかそういうことじゃないんですね。

和紙小物いろいろ

もう、ちっちゃいときから。

そう。だから、和紙ってものが、親は生活の生業だったのだけれども、そういうことも考えられない……。染み付いちゃっているみたいな。それで私、考えると漉き師さんがいるでしょ、漉き師にも伝統工芸師とか色々いるんでしょ。だけど、ただただ名前もなく良い紙を作る人もいるでしょ。今度、その紙を使って芸術作品を作る和紙の作家さん。芸術家になりますよね。そしてその紙、越前和紙、美濃和紙、黒谷和紙それぞれのところでそれぞれの和紙があるんだけれども、自分の中での和紙は「和紙」。

芸術家さんの和紙がすごいと感じなきゃいけないのだけれど、自分の中の和紙は芸術にならなくて良い範囲の中でしかないんです。私の中で。何かすごい、ひがみっぽく映っちゃうかもしれないけど私の中で和紙って芸術にならないで欲しいというのがどっかにある。それで遠のいて行っちゃう気が、すごくどこかに決め付けた何かがあるんですよ。

和紙ってもっともっと身近なもの、本来。茶人が和紙を使うようになったときには、その時代もお茶を扱う人たちは特別な人たちだったけれども、そのときでさえも和紙というものは口を拭いたり、お菓子を回したりとか。

私の中で和紙って脇役が仕事だと思うんです。襖もそう。うちは襖・障子紙やってますけど、主役になってはいけないんですね。おうちの調度品とかを引き立てて、お寺は別ですけど、それが出すぎるとおうちが手狭に感じたりね。だからどんな状況でも和紙のお仕事は脇役。それでいて良い味を出させていただく、周りを。そうするとすべてのことが楽しくなってくるんですね。脇役で相手を引き立たせるなんて、こんな良いお仕事ないじゃないですか。

それが和紙のお仕事。

和紙って本来の日本の女性のあるべき姿であろうと思うわけ。だからふと考えて、自分も本当はこうならなくてはいけないのに自が出ちゃったり。一家庭に戻ると。和紙ってあくまでも奥ゆかしくて。

一歩下がって。

だけれども本来は力強い。でもそれを決して顔に出さずね。使い手の思うままに。すごいですよね。

すごく和紙って範囲が広いから、時々頭パニックになっちゃいますよ(笑)どうしても整理が付かなくなっちゃって。特にお客さんの方と話して行き詰ってくると。

本当にそれだけ小さいときから身近にあるから。

それだから私が使い手でなかったらもっと楽だったと思うんです。使い手になってるから苦しいときも。

もう体の一部になっちゃっているから。

そう。本当にそう。

だからこうやって紙を触った瞬間に、何に向く、何に向くってこの指先だけでわかっちゃうんですよ。まずは材質からだからパルプが入っていようが何しようが、これはあれに向く、あれに向かないって。

それが紙の声を聞くというのが。

だから、私は店に置く和紙小物もできるだけ自分の手で作ったものにしているんですよね。